今日の名言「断事観三昧(だんじかんさんまい)」は、慶應2年(1866年)生まれの僧・仏教学者・探検家である河口慧海(かわぐちえかい)の著書:チベット旅行記の中に何度か出てくる言葉です。
「断事観三昧」とは、
「およそ事柄が道理で極められる事はその道理によりて善悪の判断を定めると言うことはむつかしくない。ところが理論上において少しもきめられぬ事で将来に対してはどういう事が起って来るか、未定の問題については何か一つきめて置かなければならぬ事がある。それは私は仏陀の坐禅を示された法則に従ってまず無我の観に入るのであります。その無我の観中発見された観念のある点に傾くのをもって執るべき方法をいずれにか決定するのでござります。」
—『チベット旅行記』河口 慧海著
つまり、理論的に物事が決められないけれど、何か決めなければならないときは、無我の境地に入って考えよ、その無我の中で出てきた観念に従って決めなさい、のような意味だと思われます。
河口慧海は、明治の後半に、仏陀本来の教えの意味が分かる書物を求めて、当時まだ鎖国だったチベットにインド側からネパール経由ヒマラヤ超えで潜入した人です。
その顛末を書いたのが「チベット旅行記」です。
現代仮名遣いにはなっているものの、明治の文体で、文庫本上下で600ページほどもある大作なので、あまり読みやすいとは言えません。
でも、ネパールからヒマラヤを超えてチベットのラサに至るまでの過程、そしてラサ滞在後、身元が割れそうになって追手から逃れながら幾つもの関門を抜けてチベットから脱出するくだりなど、ハラハラドキドキ波瀾万丈スリル満点の冒険旅行記だと思います。
なにしろ、現代の先進装備をもってしても非常に大変だと思われるヒマラヤ超えを、当時の貧弱な装備・食糧で、身元が割れないよう裏道・間道で鎖国の国への潜入を目指すのですから並大抵のことではないと思います。
「断事観三昧」は、一見すると当たるも八卦当たらぬも八卦のように思いつくまま適当に決めなさいとも受け取れそうです。
でも、この本の中に出てくる慧海師は、日本を出てからチベット入境を果たすまで4年近くもかけていて入念に準備を進めているのです。
情報を収集し、パーリ語やチベット語を学び、間道を調べ、登山の練習をし、慎重に慎重に事を進めています。
ですから、無我の境地に入っていれば、それまでに自分の中に準備したり蓄積したりした知識や情報などをもとに無意識のうちに一番良い答えが見つかる、というような意味合いで捉えるのがいいのかなと思います。
本の記述によると慧海師は「断事観三昧」に入ると、たぶん、数時間単位の時間で無我の境地に入っているようです。
さて、四万温泉。
四万ブルーの四万川のマイナスイオンや滝、森に囲まれた静かな環境、など「断事観三昧」を行う場所としてぴったりだと思いませんか?
決めるに決められない人生の一大事を決めるのに四万温泉で「断事観三昧」の旅はいかがでしょうか?
いい答えが見つかりそうです。
「チベット旅行記」は柏屋旅館のライブラリに備えてあります。
たぶん一泊では読み終わらないと思いますので、何度がご宿泊くださりぜひ読破してみてください!
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